★土木関係の動画★


実はまた別によく見てる動画チャンネルがあります。

それはYouTubeのもへじ(交通・土木・建築解説)です。

これらの動画を見ていると自分の知らない部分の解説や

裏でこんな苦労があったことの解説が楽しみになってくるからです

成田闘争や佐久間ダム建設の裏側など取り扱っているよ。

今回は成田闘争の触りを書いてみます。

まずは成田空港ができる原因となった羽田空港の解説から 日本初の飛行場として民間飛行場として1931年に東京飛行場ができる

当時の滑走路は僅か300m、面積は現在の3%ほどであった。

また国内はもちろん、タイのバンコクまで飛んでヨーロッパからの
国際線と連絡したりと日本を代表する国際空港として発展して
需要は急拡大する。

1940年に予定されていた東京オリンピック、東京万国博覧会同時開催に

合わせて、滑走路を2本へと拡張する

その後付近の海を埋め立て滑走路を3本建設、その後も続々と拡張して行き

羽田空港は東アジアのハブ空港として発展していきます。

しかし需要の増大からか発着枠が限界に達してしまう。

1964年の運輸白書から当面の運航量には対応できるが6年後には限界に達する

と書くほどまでに・・

それなら羽田空港を拡張すれば良いと考えるだろうが、そうもいかない

なぜなら東京湾に出入りする船舶に影響を及ぼすだけでなく、周りは水深が深く
1964年当時の技術では建設が困難かつ維持も難しい。空域も騒音問題も大きくなると
言ったことから、新たに空港を建設することになった。
新たな空港の建設用地の条件として高速道路を使って1時間以内で到達できかつ

気象条件や用地所得のやり易さ、地面が平坦で地盤が安定しているという条件で候補地を選定していく
主な候補地は浦安、冨里・八街付近、木更津沖、茨城県霞ヶ浦周辺
政府は冨里・八街付近、百里基地と調整できるのであれば霞ヶ浦周辺も良いと発表する。
しかしこの候補地選定で自民党与党内、運輸省、建設省、財界人の間で争いが発生してしまいます。

あまりの激しさに公式の会談すら喧嘩が起きるほど荒れまくり

政府内の意見調整に多大な労力が費やされたことで、地元住民への説明がほとんどできなかった。

そんな中、予定地が1965年11月に千葉県冨里・八街に内定します。調査開始から実に5年も掛かった。

反対運動が激しくなり、千葉県や地元市町村も混乱に巻き込まれて疲弊している中、 事前のすりあわせもない状態での発表だった・・

運輸省が東京における最後の大空港建設として国家百年の計を誤らぬようにと指摘していたにも関わらず・・

とまあ、もへじさんの【しくじり解説】成田空港の歴史1を引用する形になりましたが、これが触りになります。


その後の動画(現在5まで)として、成田空港建設に関しての事件になっていきます。
内定して行き詰った「冨里・八街案」と突然浮上してきた「三里塚案」と成田闘争へ繋がって行きます。


他には道路系解説シリーズとしてアクアラインや国道152号、三遠南信道

土木系解説シリーズでは北朝鮮の交通・土木事情や佐久間ダム・険道1号

を取り扱っています。

個人的には他の解説系動画を比べて突っ込んでいて驚かされることが多く

面白さを感じます。

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